目次へ戻る

 

 

「山猫判決」とは:小物だった渡辺恒雄氏(2)

200493

宇佐美

 

 先の拙文『小物だった渡辺恒雄氏』に、面子への拘りを捨てることの難しさを、宮沢賢治の作品『どんぐりと山猫』を例にとり、次のように記述し、“より詳しくは先の拙文『どんぐりと山猫』を御参照下さい”とお願い致しましたが、本文にて『どんぐりと山猫』に於ける「山猫判決」(即ち、「面子への拘りを捨てることの難しさ」)を詳述しようと存じます。

(先ずは、『小物だった渡辺恒雄氏』の一部を掲げます。)

 

 私の好きな人物評価は、宮沢賢治の作品『どんぐりと山猫』の「どんぐり達への山猫判決」です。

 

 それは、「頭のとがっているのが偉い!」「頭の丸いのが偉い!」「大きなことだ!」「押しっこの強いこと!」……と、己が一番偉いことを主張するどんぐり達に、どのどんぐりが偉いのかを決めかねた山猫は、一郎の助言を聞き入れ、次のように判決を下します。

 

「そんなら、こう言いわたしたらいいでしょう。この中で一番馬鹿で、メチャクチャで、まるでなっていないようなのが、一番偉いとね。ぼくお説教で聞いたんです。」

山猫は成る程という風に頷いて、それからいかにも気取って、繻子の着物の胸(えり)を開いて、黄色の陣羽織を一寸出して、ドングリどもに申し渡しました。

「よろしい。静かにしろ。申し渡しだ。この中で、一番偉くなくて、馬鹿で、メチャクチャで、てんでなっていなくて、頭の潰れたような奴が、一番偉いのだ。」

 ドングリは、シインとしてしまいました。それはそれはシインとして、堅まってしまいました。

 そこで山猫は、黒い繻子の服を脱いで、額の汗を拭いながら、一郎の手を取りました。

……山猫が言いました。

「どうもありがとうございました。

これほどのひどい裁判を、まるで一分半かたずけてくださいました。

どうかこれからわたしの裁判所の、名誉判事になって下さい。……

 

 私はこの山猫判決が大好きです。

ところが今もってこの山猫判決は、「出鱈目な判決」と誤解されています。

 

最近の例では、週刊文春(2004.6.17号)の『私の読書日記』にて、作家の池澤夏樹氏は、次のように書かれています。

 

 例えば「どんぐりと山猫」というよく知られた童話において、なぜやまねこはどんぐりたちの争いの仲裁を人間である一郎に頼まねばならなかったか?なぜ稚拙な「国語」で書いた葉書を送らねばならなかったか?政治的な役割を負わされた標準的な国語を用いるのは、先住民が弱い立場を自覚しているからである。山猫は一郎に権威を求め、一郎はその権威を利用してでたらめな審判を下す。その結果、彼らの友情は一回かぎりで終わる。

 

 この件は、拙文『どんぐりと山猫』にも記述しましたが多くの方々が、池澤氏同様の誤解をされています。

http://members.jcom.home.ne.jp/u3333/mk960920kenji-douwa-roudoku-3donguri.htm

アニメーション映画監督の宮崎駿氏も、朝日新聞編集委員の河合史夫氏も、大塚常樹氏も……

 

 この「一番偉くなくて、馬鹿で、メチャクチャで、てんでなっていなくて、頭の潰れたような奴が、一番偉いのだ」との山猫判決は、世のお歴々のご見解「出鱈目判決」ではないのです。

自分から進んで「一番偉くなくて、馬鹿で、メチャクチャで、……ような奴」と、公言出来る事、即ち、己の面子をかなぐり捨てる事が出来ることが「一番偉いのだ」との判決なのです。(より詳しくは先の拙文『どんぐりと山猫』を御参照下さい。)

 

 

 それでは、ここから本文に入らせて頂きます。

上に掲げた、「山猫判決」に関する、作家の池澤夏樹氏による記述の最後は、「山猫は一郎に権威を求め、一郎はその権威を利用してでたらめな審判を下す。その結果、彼らの友情は一回かぎりで終わる。」となっています。

 

ここでも、池澤氏は、「山猫判決」に真意同様に、宮沢賢治の真意(一郎君や山猫の真意)を誤解しています。

 

以下に、宮沢賢治の『どんぐりと山猫』を抜粋させて頂きながら、この池澤氏の誤解を解きほぐして行きます。

 

先ず、傑作『どんぐりと山猫』は次のように始まっています。

 

 おかしな葉書が、ある土曜日の夕がた、一郎の家に着きました。

 

   かねた一郎さま 九月十九日

   あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。

   あした、めんどなさいばんしますから、おいでんなさい。

とびどぐもたないでくなさい。

                   山ねこ 拝

 

 こんなのです。字はまるでへたで、墨もガサガサして指に付く位でした。

けれども一郎は嬉しくて嬉しくて堪りませんでした。

……

 

 このおかしな葉書を書いたのは誰でしょうか?

一郎はこの葉書に導かれて、喜んで山猫に会いに行きます。

ところが、山猫に会う前に、一郎は、奇体な男(即ち、山猫の「馬車別当」)に会います。

そして、おかしな葉書を書いたのは、この奇体な男(即ち、山猫の「馬車別当」)である事が、次の文で判るのです。

 

……

するとその奇体な男はいよいよニヤニヤしてしまいました。

「そんだら、はがき見だべ。」

「見ました。それで来たんです。」

あの文章は、随分下手だべ。」と男は下を向いて悲しそうに言いました。

一郎は気の毒になって、

「さあ、なかなか、文章が上手いようでしたよ。」と言いますと、

男は喜んで、息をハアハアして、耳のあたりまで真っ赤になり、

着物の襟を広げて、風をからだに入れながら、

「あの字もなかなか上手いか。」と訊きました。

一郎は、おもわず笑いだしながら、返事しました。

「上手いですね。五年生だってあの位には書けないでしょう。」

 すると男は、急にまた嫌な顔をしました。

「五年生っていうのは、尋常五年生だべ。」その声が、あんまり力なく哀れに聞こえましたので、一郎は慌てて言いました。

「いいえ、大学校の五年生ですよ。」

 すると、男はまた喜んで、まるで、顔じゅう口のようにして、

ニタニタニタニタ笑って叫びました。

あのはがきはわしが書いたのだよ。」一郎はおかしいのをこらえて、

「全体あなたはなにですか。」と尋ねますと、男は急に真面目になって、

「わしは山ねこさまの馬車別当だよ。」と言いました。……

 

 

 そして、ここで重要なのは、この抜粋の最初の部分です。

即ち次の記述です。

 

あの文章は、随分下手だべ。」と男は下を向いて悲しそうに言いました。

一郎は気の毒になって、

「さあ、なかなか、文章が上手いようでしたよ」と言いますと、……

 

 ここで判りますように、一郎は、山猫の「馬車別当」の文章をに対して、

文章が上手いようでしたよ。

と言っているのです。

 

 ところが、(ここが重要なのです)一郎の助言のもとに“面子への拘りを捨てることの重要性”を説いた、素晴らしい「山猫判決」を下した後、山猫は一郎に次のように尋ねます。

 

「それから、葉書の文句ですが、これからは、

用事これありに付き、明日出頭すべしと書いてどうでしょう。」

 一郎は笑って言いました。

さあ、なんだか変ですね。そいつだけはやめた方がいいでしょう。」

 山猫は、どうも言いようがまずかった、いかにも残念だというふうに、

暫らく髭を捻ったまま、下を向いていましたが、やっと諦めて言いました。

「それでは、文句は今までの通りにしましょう。

……

 

 如何ですか?

一郎は、山猫の「馬車別当」の文章をに対して、

文章が上手いようでしたよ。

と言ったのに対して、山猫の新たな提案に対しては、

なんだか変ですね。そいつだけはやめた方がいいでしょう

と言っているのです。

(それも、山猫の馬車別当が側で聞いているのに!)

この結果、山猫は、自分の部下である馬車別当に対する面子をズタズタにされてしまったのです。

ですから、そんな一郎を、山猫は快く思いません。

そして、再度招いたら、又、山猫は、一郎に面子を潰されるかもしれません。

なにしろ、残念なことに立派な「山猫判決」を下した山猫も、所詮は、「面子に拘る凡人(凡猫?)」であった為に、当然、『どんぐりと山猫』の最後は次のように締めくくられるのです。

 

 それからあと、山ね拝という葉書は、もう着きませんでした

やっぱり、出頭すべしと書いてもいいと言えばよかったと、一郎は時々思うのです

 

 この様に、『どんぐりと山猫』の物語は、一郎が、自分の言葉が山猫の面子を潰してしまったことに気が付き、後悔して終わるのです。

 

(なにしろ、お友達だったら、別に(面子に拘ることのない)偉人同士である必要もないのですから。

お友達同士なら、或る程度、凡人同士でも良いのです。

そして、その友人関係を続けて行く間に、お互いに切磋琢磨し、成長して行けばよいのですから!)

 

 以上から、「山猫判決」が、池澤氏や、宮崎氏など多くの方々が唱え、又、世の中で信じられている

でたらめな審判

ではなくて、

面子への拘りを捨て去ることが出来る人が偉いのだ!

との私の主張に御納得頂けたと存じます。

 そして、この「面子への拘りを捨て去ること」の難しさは、拙文『
悲しい日中、人間模様』に記述した青島前都知事の例にも認められましょう。

 

 この素晴らしい宮沢賢治の作品『どんぐりと山猫』は、童話集「注文の多い料理店」の中の一遍ですから、当然童話として書かれたのです。

 

何故童話なのでしょうか?

 

宮沢淳郎氏の著作『伯父は賢治』(1998225:八重岳書房発行)の中に、賢治の国柱会(日蓮系の宗教団体)との関係での興味深いエピソードが掲載されています。

 

 大正十年一月から八月までの在京期間である。……小さな印刷屋で謄写筆耕のアルバイトをしながら、国柱会という宗教団体で奉仕活動に従事した。国柱会の布教方法に道路布教と称するものがあり、近くの上野公園あたりで、ビラ配りや演説をしたらしい。そのうちに、会の幹部の高知尾智躍なる人が、「賢治君は詩歌文学が得意らしいから、ひとつ文学を通じて布教してみてはどうか」と勧めたようである。……純真素朴な二十五歳の賢治青年は、高知尾師の助言をすなおに受け入れ、それこそ爆発するような勢いで童話を書いたと伝えられる。小学校での恩師に、「一か月のあいだに三千枚書きました」と話しているし、……

 

 このエピソードが事実なら、賢治は「文学を通じて布教」しようと心に決めたのでしょう。

布教」となると「心の問題」です。

人間の心の大部分は、子供の時に形成されるのでしょう。

そして、心は大人になってからでは大きな進歩を遂げず、却って、その大事な心が、大人になるに従って忘れ去られて行くのが、常ではないでしょうか?

ですからこそ、賢治は「文学を通じて布教」を童話の形で、一番大事な子供の心の形成に力を注いだのでしょう。

そして、この童話を、親が子供に読んで聞かせる時、親自身も、嘗て子供であったことを思い出し、忘れていた子供の心を思い出す効果が期待されたのでしょう。

 

 ところが残念なことに多くの賢治の童話から縁遠い大人達は(又、賢治の童話の権威と言われる方々も)、「子供の心」から遠く離れてしまい、文章を単に文字面だけしか判断することが、出来なくなってしまうのです。

 

 この為に、山猫の下した、“一番偉くなくて、馬鹿で、メチャクチャで、てんでなっていなくて、頭の潰れたような奴が、一番偉いのだ”との「山猫判決」をも文字面だけでしか理解出来ず、この立派な判決を池澤氏のように「でたらめな審判」としか解釈出来なくなってしまうのでしょう。

 

 そして、拙文『小物だった渡辺恒雄氏』に、引用させて頂きました政治評論家の塩田丸男氏談話にある渡辺恒雄氏に「子供の心」が残ったいるとは到底思えません。

 

 いつも怒鳴っている奴がいるんだよ。誰だっていうと渡辺なんだよ。

1年生のくせにだよ。新入社員で、あんなデカイ声でガンガン怒鳴って“なんだ馬鹿野郎”ってやっているから、一体あいつは何だろうと思っていた。

 

 従って、次の毎日新聞記事(9月3日付け)に見るよう、渡辺氏は、「野球協約、日本野球機構定款、両リーグの規約など」も、その文字面だけでしか理解出来ないのでしょう!

 

 プロ野球・巨人の前オーナー、渡辺恒雄・読売新聞グループ本社会長(78)が2日、毎日新聞東京本社の観堂義憲編集局長のインタビューに応じ、パ・リーグ内でもう1組の合併が成立して10球団になった場合、巨人のパ・リーグ移籍を検討していることを明らかにした。それによりセ、パ5球団ずつの2リーグ制を維持できるという。

……

「(根来泰周)コミッショナーがこの案を示し、パ側が来てくださいと言い、セの球団がどこも行かないというなら、巨人が行ってもいい」と語った。

 既に野球協約、日本野球機構定款、両リーグの規約などを精査したことも明らかにし「球団の連盟間移動を禁止する条項はどこにもない。オーナー会議や実行委員会での審議を必要とする重要事項には該当しない」との考えを示した。

 

 「子供の心」を失った渡辺氏には、選手の気持ち、ファンの気持ちなどはどうでも良いのです。

彼にとって必要なのは、「野球協約、日本野球機構定款、両リーグの規約など」の文字面だけなのです。

 

 文字でどれだけのことが表現出来るというのですか?!

渡辺氏は現場の記者時代、自分の思いを記事にしようとした際、適切な表現が出来なかった体験はないのでしょうか?!

 

 それとも、渡辺氏の記事は、人間の複雑な心の襞などには、無関係で事務的機械的表現だけで充分だったのでしょうか?!

 

 そして、「子供の心」のもう一人の欠乏者である小泉首相も、憲法の前文なども、その文字面だけでの解釈でご満悦のようです。

 国民の意見を代弁する立場にいる方々が、こんな事でよいのでしょうか?

(憲法といえども、全てを文言で規定することは困難です。従って、憲法といえども、その憲法が書かれた精神(平和憲法の精神)を酌み取って解釈することが必要と存じます)。

 


目次へ戻る